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乳酸菌生産物質の研究開発の歴史は、西本願寺第22代法主大谷光瑞師(1876-1948年)が大連に大谷光瑞農芸化学研究所を設立した80年前の1932年に遡ります。探検家としても有名であった師は、中国西域に大谷探検隊を1902年〜1914年の間に3回派遣し、多くの経典・仏具を発掘しました。

 

発掘した経典「大涅槃経」を翻訳する過程で、醍醐(マンダ)の製造工程に関する記述を見つけました。醍醐(マンダ)こそ乳酸菌生産物質のことでした。「仏教は科学なり」と喝破した大谷光瑞師は、醍醐は万病を癒すとのお釈迦様の教えを研究すべく正垣一義氏を研究所に迎えました。

 

 

<Webilio辞書より引用>
大谷 光瑞(おおたに こうずい、1876年(明治9年)12月27日 - 1948年(昭和23年)10月5日)は日本の宗教家。探検家。明治時代から昭和時代までの浄土真宗本願寺派第22世法主。伯爵。諱は光瑞。法名は鏡如上人。院号は信英院。大正天皇の従兄弟にあたる。

 

第21世法主大谷光尊(明如上人)の長男として誕生。幼名は峻麿。貞明皇后の姉九条籌子(かずこ)と結婚。

 

1885年9歳で得度。翌1886年、上京して学習院に入学するが退学。その後、尺振八の開いた共立学舎(当時受験校で知られていた共立学校とは別)という英学校に入学するもやはり退学。京都に帰り前田慧雲(のち東洋大学学長・龍谷大学学長)に学んだ。

 

1902年8月、教団活動の一環として西域探検のためインドに渡り、仏蹟の発掘調査に当たった。1903年1月14日朝、ビハール州ラージギル郊外で長らく謎の地の山であった旭日に照らされた釈迦ゆかりの霊鷲山を発見している。その1903年1月に父・光尊が死去し、法主を継職するため帰国したが、探検・調査活動は1904年まで続けられた。これがいわゆる大谷探検隊(第1次)である。法主継職後も探検を続行させ、1914年まで計3回にわたる発掘調査等が実施された[1]。

 

法主としては教団の近代化に努め、日露戦争には多数の従軍布教使を派遣。海外伝道も積極的に進めた。また1913年に孫文と会見したのを機に、孫文が率いていた中華民国政府の最高顧問に就任した。

 

1908年、神戸六甲山麓岡本(東灘区)に盟友伊東忠太の設計になる二楽荘を建て、探検収集品の公開展示・整理の他、英才教育のための学校(現在は甲南大学理学部)、園芸試験場、測候所、印刷所などを設置。文化活動の拠点とした。

 

1914年、大谷家が抱えていた巨額の負債整理、および教団の疑獄事件のため法主を辞任し、大連に隠退した。二楽荘と探検収集品もこの時に手放している。現在、これらのコレクションは散逸し[2]、二楽荘も1932年に火災で焼失した。

 

隠退後も文化活動を続け、1919年には光寿会を設立して仏典原典(梵字で記述)の翻訳にあたり、1921年には上海に次代を担う人材育成のために策進書院を開校した。

 

太平洋戦争中は近衞文麿内閣で参議、小磯國昭・米内光政協力内閣で顧問をつとめた。しかし1945年に膀胱癌に倒れ、入院中にソ連軍に抑留された。1947年に帰国し、翌年別府にて死去。

 

国立国会図書館が所蔵する著作集、ご参考までに。

 

 

 

 

正垣一義先生の乳酸菌生産物質研究開発の歴史

 

大正10年(1921)   京都研究生学館(京都大学教授近藤金助農学博士と同医学部木村廉医学博士の 指導による微生物学部に入学、同15年終了と 同時に1年間兵役志願兵として出征。
昭和 3年(1928)   研究生学館微生物研究部員
昭和11年(1936)   8種類共棲培養「ソキンL]を開発
昭和12年(1937)   長期保存・携帯可能可能な「潤生ソキン」開発
昭和20年(1945)   16種類共棲培養法を確立
昭和24年(1949)   国会にて「仏教原理の応用範囲」と題して、有効菌(乳酸菌)応用の重要性について
              講演、高瀬壮太郎文部大臣賞詞を受領
昭和25年(1950)   国会にて「寿命論と有効菌」と題して二度目の講演
              厚生大臣賞受領
昭和45年(1970)   16種類乳酸菌の共棲培養物から分泌物と菌体物質の抽出に成功
昭和55年(1980)   乳酸菌生産物質の原料を井草克一氏と製品化
昭和60年(1985)   正垣一義先生没

 

涅槃経を科学的に読み解いた大谷光瑞師の洞察力と日本ではじめてヨーグルトを開発正垣角太郎医師を父親の影響と深い知識をもってにひたすら研究に没頭する正垣一義先生の努力なくしては乳酸菌生産物質を開発されることはなかったでしょう。

 

正垣一義先生の主な発明と特許

 

昭和14年 特許「微生物共棲培養方法」発明
昭和17年 特許「10年鑑生存できる細菌製剤の製法」を発明
昭和18年 重要医薬品・微生物製剤「油性ソキン」の製法を完成
昭和21年 特許「微生物による自然味誘導物質の製法」完成
昭和22年 特許「植物性蛋白使用チ−ズの製法」を完成
昭和55年 特許第470689号に基づき腸内有効細菌の繁殖を保護する硫化水素等の毒性ガスの発生を除去する健康法を完成 「ブシェケ」と命名し       試用を開始 製品化を完成